青猫の名前~PFUブルーキャッツが紡ぐ再生の物語~

PFUブルーキャッツ
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気づけば10試合も見ていた。19/20のレギュラーシーズンに限って言えば、東レの11に次ぐ2番目の数字だったりする。

たまたま東レと試合会場が一緒になることが多かったからだが(交流戦はセットだったので)、それにしても、今季のこのチームを半分近くも見られたのはとても貴重だった。

そして、何より楽しかった。

PFUブルーキャッツというチームを初めて見たのはおそらく2016年11月の西尾大会だったと思う。江畑選手のいるチーム、という当初の印象に、その日たまたま試合後に出くわして印象に残った25番の選手のいるチーム、が加わったのはそのときだった。それから何回か、結果的にこのチームを会場で見る機会がちょくちょくあったけれど、かつてチャレンジの時にドリス選手が会場のアナウンスに合わせて「チャレンジ」とポーズつきで言っていたことくらいしか印象はなかった。

東京に戻ってきてVリーグをたくさん見るようになった18/19シーズンも、このチームを見る機会は少なかった。一勝もできず苦しんでいたこのシーズン。内定選手がすぐに正セッターを務めたり、チームとしてどこかあちこちがおかしくなっている印象はあったけれど、そんな中で異例の、チャレンジマッチ直前の監督休養という事態でも、笑顔を絶やさず選手たちを鼓舞する有田選手の姿が印象に残っていた。

特に2月の愛媛大会(=レギュラーシーズン最終戦)は、東レ相手に2セットを先取してついに初勝利か、というところまで来ていただけに、控えエリアで盛り上げている宇田選手がいて傍目には明るく見えるこのチームが、なんで一勝もできないんだろう…とは思っていた。

事実上の残留争いの一大決戦となった3月の深谷は、1月に見に行った黒部大会の影響ですっかりKUROBEに肩入れして見ていたけれど、試合後にタオルで顔を覆っていた山下選手を見て、なぜこうなっちゃったんだろう…と思って見ていた。

※その試合のことはこちらに…

なぜ、このチームが一勝もできなかったんだろう…

思い入れのあるKUROBEが残留できたことの喜びの一方、複雑な思いが深谷の帰り道に交錯していた。