ああ、この三年間は日本代表のキャプテン・古賀紗理那の三年間であり、「選手としての古賀紗理那」の最終章を見ていたんだな…
引退会見での晴れやかな姿を見て、そう思った。東京五輪のドミニカ戦後の集合写真の涙から始まった三年間は、パリ五輪のケニア戦後の集合写真の涙で終わったのだ。
私自身は2015年のワールドカップをたまたまテレビで見たことをきっかけにバレーボールに興味を持ち、会場に足を運ぶようになったのだが、古賀選手のVリーグデビューも2015年なので、ほぼVリーガーとしての彼女はずっと見てきたことになる。
他チームファンなので追いかけてきた、とまでは言えないが、はたから見ていて彼女の節目───というより挫折───はいくつかあったし、そのたびに支えてきた人、そして「場所」が彼女をここまでの選手にしたのでは…と思う。ここでははたから見ていたバレーボールファンとして、その過程を振り返ってみたい。
代表漏れでかけられたキャプテンの言葉
まだ高校生だった2013年に代表に選ばれ、そして私の見た2015年のワールドカップにはいわゆる次世代エース、として注目を集めるなど着実にステップアップしていた彼女。その順調な成長曲線が止まってしまったのが、2016年のリオ五輪の最終予選だった。
もう8年も前のことなのではっきりと覚えているわけではないが、2015年の活躍ぶりを見ていただけにテレビで見ていてその不調ぶりに「あれっ?」と思ったのは覚えている。彼女が担うべきポジションはこの最終予選で、石井優希選手に取って代わられた(当時の帳票が残っておらず、うろ覚えではあるが)。だから、リオ五輪のメンバーから外れたのは致し方のないこと、と思った。それは彼女にとって経験する最初の挫折だったのではと思う。
そんな彼女を励ました選手がいた───そう、ご存じの方も多いと思うが、キャプテンの木村沙織選手である。
「紗理那は埋もれちゃダメだよ。どのプレーでも誰よりも上に、平均よりも上にいないといけない存在だから、とにかくこの悔しさを忘れず頑張って」
Number Web「古賀紗理那、五輪落選からの復活。きっかけは木村沙織と仲間の言葉。」
このエピソードは二人の対談で必ず出てくるので、知っている人も多いと思う。だが、これだけではない。リオ五輪が終わり、キャプテン・木村沙織として最後に、宮下遥選手にこんな言葉も残しているのだ。
「紗理那をよろしくね」
日刊スポーツ「木村沙織は有終五輪 次期エースの名挙げコート去る」
リオ五輪が終わるということは、東京五輪が始まるということ。これからの日本代表を担うのは古賀選手。そんなバトンが渡されたわけだ。のちに同じく代表のキャプテンになるわけで、彼女にとって木村沙織さんは文字通り先輩だったと思う。だから、キャプテン同士としての対談もテレビで何回も企画されたし、アントラージュとして木村さんが関わっていたのはめちゃくちゃ大きかった。
そこをどん底と仮にするのならば、そこを救ったのは木村さんだが、そこからの復活の軌跡はもう一人欠かせない人がいた。