18/19東レアローズ粘風記~ファイナルステージ編~

東レアローズ滋賀
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2019/3/24 対JTマーヴェラス ○3-2 ゼビオアリーナ仙台 勝利の円陣:白井選手

お互いファイナル3進出を決め、2位になったところでアドバンテージもなく、いわば消化試合。JTはミハイロヴィッチ選手を登録外にして休養に充てていた。ファイナル3で戦う相手にデータをみすみす提供したくないという思惑もあったのだろう。東レはそんなのおかまいなしとばかりに、いつものメンバーだった。あ、強いて言えば小川選手が久しぶりにスタメンに名を連ねていた。って今調べたら12/16の皇后杯・トヨタ車体戦以来だった。僕が見たのは12/2が最後で、道理で試合前の整列が普段と見慣れない光景だと思ったわけだ。

ちなみに整列の時、黒後選手が小川選手の肩を叩いたまま手を置いて、振り向いた小川選手の頬に黒後選手の指が刺さるといういたずらをやっていた。ガキだ(笑)。でもこういうのが東レアローズのよさなんだと思う。ま、本気モードで臨む必要のない試合だったこともあるが。

ただ、やっぱり試合になるとスイッチが入るのか、二セットを落とした後、急に二セットを連取(第四セットは相手のマッチポイントというシーンがあったはず)。そのまま第五セットもモノにして勝利。気づけばファイナルステージを二位通過というまさかの展開に。ポイントゼロからの8位からスタートしたチームが、である。

一方で、この試合ではこんな光景が…

ファイナル8の久光戦からリベロは中島選手と水杉選手の併用だったのだが、ベンチに下がった中島選手に菅野監督が試合中に「なんで○○だったんだ?」と何かのプレーの意図を問い、その後「もういい、下がってろ」と言ってそのまま控えエリアに下げて試合終了まで使わないというシーンがあった。水杉選手も最初は中島選手が控えに下がったことに気づかず、いつものようにプレーの後にベンチに戻ろうとして「ごめん、言ってなかった」と菅野監督が謝るシーンがあったから、それくらい急に思い立ってのことだったのだろう。

試合後選手たちは勝利の笑顔にあふれている中、彼女だけは悔しさ、悲しさをかみ殺した表情で伊東さんになぐさめられていた。選手たちもそれを察してか、敢えて彼女に近づかないようにしていた(こういう配慮はどのチームでもファインダー越しにグッと来る)。

確かに試合中に叱責されてそのまま罰として下げられるというのは、選手にとっては何より屈辱というかそれ以前にショックだろう。でも菅野監督はそういうことをしちゃう監督なのだなと。敢えて厳しく選手を突き放す。一見和気藹々としている東レアローズだけれど、そんな厳しい側面もあるのだ。そりゃ、V1リーグを戦うスポーツチームなのだから、当然だ。

この悔しさからどう立ち直っていくのか。選手として彼女がどう成長していくのか。それはこれからの戦いの中で見守りたいなと思った。

2019/3/30 対JTマーヴェラス ●2-3 島津アリーナ京都

この試合については前述のブログでたくさん書いているので…

ファイナル3に進出することなど全く頭になかった僕は当然チケットも買ってなかったし、新幹線もホテルも取ってなかった。桜も咲く春の京都は観光客でごった返していた。僕は何も桜を見に京都に行くわけではなかったんだけれどこればかりはしかたない。なんとかホテルも新幹線も押さえることができ、僕は京都に向かった。京都駅で乗り換えた電車は、嵐山の桜を見に行く観光客でいっぱいだった。僕は桜を見に来たんじゃない。

試合は、フルセットの末敗れた。一度はマッチポイントを取りながらも、つかみかけた勝利はするりと逃げていった。もったいない、とも思ったけれど、元々僕はこの二試合という偶数で突破を決めるという奇妙な制度では、一敗はできると思っていたのでこれでいいと思った。むしろ明日勝って、その勢いでゴールデンセットに持ち込んだ方がよいと思っていたからこれでいいと思っていた。

ただ。試合後のVOMインタビューで小幡選手が「ウチの良さはとにかくボールを拾うファイティングスピリッツ。そこで勝った」みたいな話をしていた。ウチも似たようなスローガンなんだけれど、ウチにはそれが足りないから負けたとも言えるわけで、この言葉を選手たちがどう聞いたか、が明日に響くかなと思った。簡単に言えばこれを聞いて悔しいと思ったかどうかだ。

ちなみに先週の試合でああいうことがあった中島選手は大丈夫か心配したけれど、スターティングメンバーにも起用されたし、確か途中から出るようになってホッとした。這い上がって来た、ということだからだ。

せっかくなので夜は桜を見に行った。京都の街は外国人観光客も加わって大混雑だった。この中でバレーボールを見るために京都に来たのは間違いなく僕しかいなかっただろう。