2015→2019 4年越しのバレーW杯

日本代表
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Arimoto Kazuki(有本和貴)をフォローする

先に試合の話をすると、私は日本代表の試合はあまり見ないのでこれがリオ五輪予選以来2回目だったし、撮るのは初めてだったけれど、セッターは断然佐藤美弥選手派で、かつ自分がVリーグのチームを作るとしたら新鍋選手を核にしたチームを作る、という私にとってはこの日本代表はまさに理想のチームだった。そのチームを目の当たりにできるのはとても多かった。

また、そもそもワールドカップということで世界の強豪国が日本に集まる、そんな大会なので全試合見るのは私の中では言うまでもなく当然だったので、第一試合からずーっと見ていた。すっかり、楽しんでいた。なにせ一年前札幌で見たグラチャンから注目している、中国のセッターについて語れるようになっている自分がいた。

会場では特別な二人に会った。一人は、バレーボールに興味を持ち始めてツイートし始めていた私を見つけ、会話と写真を通してバレーボールの世界の魅力を教えてくれた人。もう一人は、バレーボールといえばプレー写真ばかりの中で、そこに垣間見える日常の風景を撮っていた私を肯定して、ほめて、写真をたくさん使ってくれた東レ、そして黒後選手ファンの女子。これも4年前ではとても考えられない光景だった。

そして。

引退した木村沙織さんは、キッチンカーとしてこの場所にいた。古賀選手は代表メンバーとしてこの場所にいた。

ワールドカップの後、リオ五輪では代表から外れるなど苦節もあった古賀選手はこの日のドミニカ戦、28本ものスパイクを打った。もうメディアでは「日本のエース・古賀紗理那」だ。もう「ポスト木村沙織」なんて肩書きはなくなっていた。

4年後、二人はそれぞれ立場を大きく変えてこの横浜にいた。

最近まで私は、この二人それぞれに魅了されてバレーボールにハマるようになった、と思っていた。ところが、たまたま見た先週の「S-PARK」での木村沙織さんと古賀選手の対談で、気づいた。

古賀選手がリオ五輪のメンバーからはずれたとき、こんなエピソードがあった。

古賀紗理那、五輪落選からの復活。きっかけは木村沙織と仲間の言葉。(田中夕子)
優勝まであと1点。V・プレミアリーグ女子大会決勝、14-6とNECレッドロケッツが大きくリードして迎えた最終セット。サーバーは古賀紗理那。18歳で日本代表に入ったばかりの頃はサーブが苦手で「絶対チャンスにしかならないから、打つのが嫌なんです」

紗理那は埋もれちゃダメだよ。

引用元:NumberWeb「古賀紗理那、五輪落選からの復活。きっかけは木村沙織と仲間の言葉。」