風の谷の東レアローズ19/20ファイナル

東レアローズ滋賀
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そしてチーム以外で言えば。

昨季に比べて私にはさらに東レファンという仲間が増えていった。応援団の方々とも試合前後でさらに言葉を交わすようになったし、その結果、彼らが客席のファンと紡ぎ出す音と声による「応援」に、より親しみを覚えるようになった。ああ、あの人がこういう応援手法取っているんだな、とか。

特に金沢で見たこの光景は、東レならではの光景だと思った。その楽しさから子供たちも巻き込んで「声援」にしてしまう。

ファイナル8の船橋もそうだったけれど、無邪気な子供達が叫ぶ「東レ」コールはどこかじんわりときた。声援は確かに人の背中を押す。でも、その声の主が誰か、というのによってもまた違うのだと思った。

そして、私が撮った写真を使ってよりチームの魅力を伝えるよう加工して発信してくれる人も増えていった。昨季できた輪、が、じわじわと広がっていった。そんな感覚だった。個人的には私が注目し続けてきたアロカムボードことウエルカムボードが、より多くの人たちが注目してくれる存在になっていったとも思う。

個で見るよりも、輪で見る方が楽しい。

個で応援するよりも、輪で応援する方がもっと楽しい。

そしてそれは必ず選手たちの力になる。

弓(アローズ)でいえば、一本ではなく束になった方が強いのと同じことだ。

そして何より、

今季の東レアローズが私に残してくれたもの…

一言で言うのなら、それは心なのだと思う。

チームの選手、もっといえば人間を思いやる心。

これは昨季もだったけれど、今季の東レからは何よりそれが伝わってきた気がする。

昨季の悔しさがあったから、さらにみんなで一つになって、上に行こう。そんな心が何より伝わってきた。

今の、このみんなで、上に。

さっき、束になると強いと書いたけれど、でも、ただ束になるだけではだめで、束ね方があって初めてそれは力を発揮するのだと思う。

その束ね方の原動力となったものは何か。私はこれだったと思う。

今の、このみんなで、上に。

結果は伴わなかった。他のチームがさらに成長を遂げたから、そこに及ばなかった。

だけれど、このみんなで上に行こうとしたその誇りだけは、失っていなかったと思う。

だから、昨日敗れてセミファイナル進出が絶たれても、ファンのみんなもショックではあったけれど、でも、それが何かに矛先が向けられることはなかったと思う。むしろ「もっとなにかできなかったのか」と自分自身に向けた人が多かった、そんな印象だ。