林琴奈選手の絶対的な存在ぶり!
大事なことなので!もつけました(笑)。今回、眞鍋ジャパンのキーパーソンは実は彼女なんじゃないか、って思いました。ライトというポジションもありますし、基本的に目立つ選手ではないんですよ。でも、プレーの全てがまんべんなく満点、という感じでした。世界バレーではリリーフサーバー以外での交代はなかったんじゃないかな?
ご存知の通り、東京五輪ではライトは黒後選手でした。私の中では、パワーのある選手をライトにいれて世界に対抗しようということだったのかなと思いましたが(普通レフトの選手が務めるのに「エースは黒後」と当時の中田監督が発言したこともそれを表しているかと)、結果的にその作戦はうまくいかなかった。たぶんですけれど、本当は長岡選手を使いたかったけれど間に合わなかったので、同じようにパワフルなアタックが持ち味の黒後選手を使った。そういうことかなと。
私もこのライトというポジションというもの、は最近なんとなくわかるようになったので(傍から見ればレフトだろうがライトだろうが、アタックを打つことには変わりないのでなかなかわからないんですよ)、そんな中で思うことは、ここに攻撃型の選手を入れるか、オールラウンダーだったり守備型の選手を入れるか、はチームの根幹を左右することなのでは、と。
ただ、打ち合いでは海外勢にはかなわないじゃないですか。そこでオールラウンダーな選手を入れるというのは日本の一つのやり方なのかなと。
これは私なりの解釈ですが、ライトに強烈な右のアタッカーを入れるチームは多いわけです(左利きがいれば左利きを)。イタリアだとエゴヌがそうですよね。で、中田監督(当時)としては、「日本にもパワフルな右のOPを入れて世界に対抗しよう」としたのではと思うんです。世界に対して世界のやり方で対抗しようとしたというか。「日本も同じやり方で戦ってくるのか」と思わせようとした。それが彼女の言う「伝説のチーム」だったのかなと。世界相手に真っ向勝負。
簡単に言えば野球に例えると、アメリカに対してパワーで対抗するようなものです。これは、前にも書きましたが中田監督(当時)が強者の論理だったからではと思います。
眞鍋さんは弱者の論理です。日本ならではのやり方で相手と戦おうと。野球でいえばアメリカにバントや盗塁、守備などいわゆる「スモールベースボール」で対抗する。
この違いが、ライトというポジションの選手選考に大きく関係していた気がします。
日本代表でここの役割を果たしていたのって、新鍋選手だったのかなと思うんですね(かな、としたのはその頃は今以上にバレーボールのことがわからなかったからです)。ということは、日本代表はしばらくポスト木村沙織ではなく、ポスト新鍋理沙に悩まされていたのかもしれません。中田監督(当時)も、東京五輪が延期になったことで新鍋選手が引退して、それを担える選手がいないから前述のパワーヒッターに切り替えざるをえなかった部分もあったのかと。
そして、やっと、やっとそこに林選手というピースがピタッとハマった。それが何よりの世界バレーの成果なのではないでしょうか。
さて、世界バレーは日本代表以外の各国の試合が見られる点でとても貴重な場なのですが、その中で感じた、「日本が負けるとき」というのを私なりに(あくまでも)分析します。素人視点として笑い飛ばしていただければと思います。