■撮影=疑似プレー
で、その読みが当たってその様子をピントがぶれることなくばっちりと収められていると、何よりの快感になります。よっしゃ、みたいな。選手じゃないけれど心の中でガッツポーズしたり(笑)。そうやって、見れば見るほどノウハウが蓄積されてきます。いわば貯金ができる。そして、それが活きるときが来る。種を蒔いたらそれを刈り取れるときが来る、とも言うかな。たくさん試合を見て撮るようになってからは、その過程が楽しいと思うようになりました。
でもそれって実際にプレーしている感覚とも言えませんか?これまで理想として、練習してきたプレーが実際にビシッと決まったらうれしいでしょうし、「次にこれが来る」という読みもまさにそうです。
自分もプレーしている感覚になる、というのは大げさな言い方かもしれませんが、でも、より試合に参加していることは間違いないわけです。さらに言うと試合をリアルなものとして楽しめるようになると思います。例えば選手交代である選手が入ってきたら「あ、あの選手ならこういうプレーが得意だから、そのシーンが撮れるな」とか。それは選手も同じこと(この選手を入れてきたということはこういうプレーが増えるな等)を考えているはずですし。
■撮影=想像の創造作業
試合を撮っていて個人的に楽しいのは、試合展開の中で「こういう構図を撮れたらいいな」というのを想像し、そのためにはこういう風にして…と創造することです(もちろん試合前にもある程度想像はしますが、展開によって新たに想像することもあります)。
例えば、チームカラー一色に染まった満員の観客を入れたいな、とか、選手と断幕をセットにしたいな、とか、セッターの放ったトスが宙を舞って観客が固唾をのんで見ている…とか、うまく言えないけれど会場の空気を撮りたいと思うことがよくあります。
そのためには例えばレンズの向きは縦にしよう、少し引こう、またはアップにしよう…とか。もちろん、撮りたいと思っても例えば前の人の頭が入ってしまうとか、隣の人が一脚を使っているとか(壁を立てているようなもので思いっきり視界が遮られます)、思い通りにならないこともあります。そのときはそれに近づけるか、別の構図を考えます。
だから試合中は常に頭をフル回転させています。ほんと、試合後はクタクタです。私自身どんな意図でこういう構図にしたのか、というのをいくつかご紹介します。
例えば、ファイナルで代々木第一体育館を埋め尽くした岡山の応援団をバックに、チームの中心的存在である宮下選手を撮りたいと思ったのがこちら。
おそらくこれが私が見る久光での最後の新鍋選手かも…と思って撮ったこの一枚(チーム名の断幕を入れ、かつ、新鍋選手一人だけの構図にしました)。
ファイナルのフルセットで優勝が少しずつ近づく中、JTの控え選手がドルーズ選手の得点時にやるパフォーマンスの「USA」の、指の部分だけを撮った(1位になるぞ!みたいな空気が伝わってきたので)この一枚。