引退を発表して迎えた2016/17シーズン。私もできるだけ追いかけようと思った。そして、元々写真を撮ることに否定的だった私は(オレは試合を見に来ているんだ!って思っていたからね)、初めて手元にあった一眼レフを持って船橋大会に行った。一眼レフを通して見たバレーボールの世界はまた違った。双眼鏡で見ている感じだった。その話もいつかしたいと思っているけれど、
ファインダー越しに見た木村沙織選手は、女の子としての人間味もあふれていたけれど、バレーボールという競技の奥深さを教えてくれた気がする。あ、このシーンでこういうサーブを打つんだ、とか。何よりスパイクって力任せが全てではなくてフェイントというか、体の向け方とは違うところに落としたりとか、そういうのが大事なんだ…とか。
力任せも強さなんだけれど、「力だけではない力強さ」というのを何より感じた。なんだろう、本当の意味での強さというかな。とにかく「うまい」選手だった。何でもできる、本当にスーパーな選手だった。生まれながらのバレーボーラーという感じだった。
バレーボールという世界に長く生き続けたからこそというか。というより、
バレーボールを愛し続けたからこそ、というか。
バレーボールという神様に何より愛された人だったというか。
バレーボールを通して知り合った、私にとってものすごく大切な方にこう言われた。
「木村沙織選手は素人好みでもあるし玄人好みでもある」(ニュアンスとして)
これ、まさにそうなんですよ。
最初はバレーボールの素人として「木村沙織めっちゃいい」と思って興味を持った私が、バレーボールをたくさん見て、だんだん目が肥えてくる中で、「木村沙織選手めっちゃいい」に変わっていった。見れば見るほど選手・木村沙織に魅せられていった。
バレーボールという競技の奥深さを何よりこの人は教えてくれた。
これが、初めてカメラを持っていった船橋大会の写真なんだけれど、あのサーブレシーブのルーティーン、これが、後ろから見るとめちゃくちゃカッコよかった。これ、まるで侍の一対一の決闘みたいな感じじゃないですか。サーブを打つ長岡選手に対して、木村沙織選手がまるで日本刀を下に向けているような。
一対一の決闘って、刀を持ちながら相手の出方を探りつつ…みたいな感じだけれど、まさにそんな感じで相手の出方に自分を合わせる、そんな感じだった。
そう思っていたら何かのインタビューで、木村沙織選手がサーブレシーブを強化するために、相手がサーブを打つときの呼吸(リズム)に合わせようとしてあのルーティーンを始めた、と聞いてびっくりした。私の感覚とだいたい合っていたから。全てに動きにちゃんと意味があるというか、バレーボールに直結しているんだなと。なのであのタオルルーティーンも何か意味があるはず。…かどうかはわからない(多分ないと思う)。
生き方全てがバレーボールに直結していた。それが木村沙織選手なんじゃないかなあ、と。いや、これは選手云々じゃない。木村沙織さんという人間なんだろうなあと。
だから先日発売されたフォトブックはぜひバレーボールに興味がない人も読んで欲しいなと。何かに魅せられ、それをずーっと続けてきた選手、いや、人間というのはどういうものなのか、がよくわかると思う。私も写真を撮っていて、とにかく楽しそうにバレーボールをしている姿ばかりになった。
という長話もあれなので、写真をいくつか。左は船橋大会、右は茨城大会。
そして、試合前の練習で最初に足をばたばたさせて転ぶやつ、あれだけは「女の子・木村沙織」として見ていた。めちゃくちゃかわいかった(笑)。たぶん女の子ならものすごく大好きなシーンだと思う。絶好のショットで撮れなかったのは悔しかった。
あと、スパイクの写真はいろんな選手を撮ったけれど、助走を仕方といい、「女の子らしさ」というか、女子力は高いなと勝手に思っていた。この下の最初の写真の、両腕の広げ方が特に。