私は2015/16シーズンの東レアローズは、12月の川崎大会、皇后杯、そして3月のファイナル3しか見ていない。だが、私にとってバレーボールのある意味本当の魅力を知ったのは、3月のファイナル3だった。そのことはここで書いたけれど、
なんだろう、「木村沙織選手」ではなく「東レアローズの木村沙織選手」として見るきっかけをくれた試合だったというか。東レアローズという輪の中にいる木村沙織選手。そしてその輪は彼女が生み出しているのでは、という所感…コートに流れる東レアローズの空気…
その後リオ五輪の予選を見たり、そのときにテレビの露出が増えたので彼女の言葉に触れる機会が多くなった。そういうときはたいていちょっとボケているというか不思議ちゃんみたいな感じで報じられることが多かった。でも、ああ、愛されているんだなあ、ということはよーく伝わってきた。
私はリオ五輪を最後に引退するのかなと思っていた。ファイナル3の試合後にコートで繰り広げられていた光景はそれを十二分に感じさせたし。ただ、去就がメディアで報じられる中(たぶんご本人としてはそんなことで報じられるとは思ってもいなかっただろうけれど)、「東レアローズで最後の一年を迎えます」としたのも私の中では木村沙織選手らしかったと思っている。というのは、五輪という一大舞台、非日常の場ではなく、自分がほとんどを暮らしてきた東レアローズという日常を最後とすること。
木村沙織選手って見ていて何よりこの「日常」の伝わってくる人だった。ああ、たぶんこの人は普段もこんな感じなんだろうな、というか。バレーボール選手・木村沙織というより、一人の女の子がバレーボールに魅せられて子供の頃からずーっと過ごしてきたのが木村沙織選手。それはフォトブックを読んで何より感じたことかな。