木村沙織さんが咲かせる花in札幌

東レアローズ滋賀
all text and photographed by
Arimoto Kazuki(有本和貴)をフォローする

やがて木村沙織さんが登場。イベントはMC2名とのトークセッションという形で進行していきました。

しかも、ものすごく丁寧に木村沙織さんの生い立ちを紹介していました。子供の頃から高校、そして全日本…トレーニングが大嫌いで逃げ回っていたわけではないそうだけれど、ウエイトトレーニングが嫌いで、「5、6、7、8、10」みたいにしてごまかすこともあったそう。

個人的にうれしかったのは、全日本に初めて招集されたのが北海道にいたときだったとか。学校の行事だか何かで北海道にいたときに、ちょうど北海道で合宿をしていた全日本に呼ばれてわけもわからず合流したとか。木村沙織さんと北海道の思わぬ縁が。

そして話は五輪へ。なんとロンドン五輪の銅メダルを会場に持ってきてくださっていて、小中学生たちに触らせてあげてました。そのときにはこんなコメントも(以下発言は極力忠実にしていますが、ニュアンスとして捉えてください)。

バレーボールには国際大会がほぼ毎年行われているけれど、あれは何だったんだと思うくらい、五輪は海外の選手たちの目の色が違った。

ちなみに全日本に入ってヘルニアになってしまい、それで苦手だったウエイトトレーニングの大事さに気づいたとおっしゃってました。そして印象的だったのは、以下のコメント。

高校時代バレーボールでプレッシャーを感じることはなかったという話の後に

バレーボールはチームスポーツなので自分だけが、というのはなかったです。

これは私なりの解釈なんですけれど、個人スポーツではなくチームスポーツなのだから、自分だけが勝手にプレッシャーを感じるものではない、ということなのかなと。会社でもそうかなと。どうしてもプレッシャーを感じることはあるかもしれないけれど、みんなでやっていることなのだからそこは自分だけで抱え込むのはダメで、みんなで分かち合うべき。そんなことだったんじゃないかなと。個人的には、東レアローズに流れる空気の一端を垣間見た気がしました。

ちなみに東レアローズ、というか木村沙織さんと東レアローズについてはこちらに書いているので宜しければ。ちなみに私にとって木村沙織さんはナウシカです(笑)。

ただ、プレッシャーについてはその後にこんなことも。

五輪では、自分がミスしたらこれで最後の五輪になる選手がいると思うと、緊張で腕が震えました。

MCからも「それがプレッシャーを初めて感じたときなのかもしれませんね」と言われてました。やはり木村沙織さんにとって五輪は特別な場所だったようです。