2018年、湿った夏のaiko論

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Arimoto Kazuki(有本和貴)をフォローする

あ。

あと、3.11のMステという点で言うと、実は2016年の3月11日はあのときと同じ金曜でした。もちろんMステもあって、そこにはその直前の3月9日に「もっと」をリリースしたaikoさんが出演しました。2011年から5年越しに「3.11のMステ」に出られるよう、この日にシングルをリリースした。深読みかもしれないけれど私はそう思うわけです。aikoさんなりの、時間の取り戻し方だったんじゃないかなあ、とね。

あと3.11でいうと、あの後にFNSでやった音楽特番で、「テレビをご覧の皆さん、そしてラジオでお聞きの皆さん」と、テレビの映らない地域のために放送されていたラジオにまで触れていたのはaikoさんだけだったのも、私がaikoさんを好きになった理由の一つです。

FNS音楽特別番組 上を向いて歩こう 〜うたでひとつになろう日本〜 - Wikipedia

── 「頼る」「依存する」以上の「委ねる」

さて、ここからはLLP20の札幌・ニトリで感じたことです(私は2日目のみの参戦でした)。

aikoさんのライブの特徴、というか、ジャンキーとの関係性の一つのキーワードが「依存」だと私は思ってました。「ファンの人たちのおかげで」という感謝はどのアーティストも持っているものですが、aikoさんはどこか「ファンに寄りかかっている」くらいの、依存度を感じます。あんたたちおらんかったら生きていけへん、と言ったらオーバーかもしれないけれど、でもそれくらい。

歌声もそうだし、どこか「一人の女の子としてのか弱さ」が感じられるのがaikoさんだと思います。なんだろう、みんな年を取っても男子であり女子なわけですよ。aikoさんはそれが強く出ている印象があります。だからあれだけ多くの人、特に若年層に愛されているわけです。

年齢層という点ではaikoさんがよくやる「男子!」「女子!」以外の「10代!」「20代!」はあれはものすごく貴重なマーケティングツールなんですよね。いつも10代20代の歓声の大きさにびっくりさせられます。これだけの若い人たちがaikoさんを愛しているんだと。いや、よくある「アーティストと共にファンも年齢を重ねる」(つまりファン層が固定化されている)が、aikoさんは当てはまらないんですよね。

ニトリの二日目では今日初めてaikoさんのライブを見に来た、という人が手を挙げるシーンがあったけれど1~2割くらいが手を挙げていてびっくりした。これだけの人が新しくaikoさんを見に来たんだと。

私はニトリは運良く3列目で見ることができたのですが、aikoさんの歌い方とか、出で立ちというか…ステージに立っている様子を見ていて…

本当に気持ちよさそうに歌っているなあ…と。なんか、音楽というプールに身を委ねている感じがしたんですね。今までは音楽やファンに頼る、依存するだったのが、さらに進んで委ねている感じ。なんかもう、そういうaikoさんを見ているだけでうっとりするというか。楽しそうにしている人を見ていると自分まで楽しくなるじゃないですか。それと似たようなものです。

そして委ねるということは、つまりは信頼の証なわけですね。この人だったら委ねられると思っているから委ねるわけで。それがジャンキーにはまたうれしいんだと思います。私たち、信頼されている、と。だから私たちも負けじと信頼する。私は前からaikoさんとジャンキーはラブラブな恋愛関係だと言ってますけれど、そのラブラブぶりがライブ会場全体を包んでいるのが好きなんですよね。

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ちなみにニトリ文化ホールは9月末で閉館になります。aikoさんもこれまで何回もライブをしてきた会場だったわけで思い入れもあったと思います。そんな最後のライブを盛大に締めくくることができたのはご本人にとっても、そして道民ジャンキーにとってもいい思い出になったと思います。閉鎖されるホールの最後のライブを見る楽しみもaikoさんにはあるんだなと痛感した次第です。