2021年11月27日、このはなアリーナでの久光戦で、2月の尼崎大会以来久しぶりに彼女を見た。彼女は少し細くなっていた。そして何より、表情もすっきりとしていた。今まで背負っていたものを全て下ろし、自分がやるべきこと、を改めて選んで背負い直した、そんな印象だった。リセットされていた。そう思ったのは私だけでなく、皇后杯準決勝を見た日立ファンの人も「こんなに笑う選手でしたっけ」と言っていた。
そんな思いで彼女を見ていただけに、皇后杯決勝での赤いユニフォーム姿に、私は思いっきりこれまでの彼女、を重ねていた。ああ、これから始まる決勝は、東京五輪での悔しさを晴らし、そして経験を後輩たちに伝える場になるんだろうなあ…
結論から言えばその通りになった。
東レファンの私としてはもちろん悔しい結果だったけれど、どのチームのファンとかそういうことを通り越したとき、石井優希選手の活躍というか、決勝で遺したもの、というのはとても大きかったと思う。
でも、それは何も久光に対してだけじゃない。どこかウチ、そして推しの選手(就実高校の後輩でもある)に対しても「そういうブロックじゃ抜かれるよ」と教えてくれているような感覚を覚えた。
だから最後彼女が決めて試合が終わって、私自身どこかホッとした(東レファンにあるまじき発言だが)。これがアキンラデウォ選手のブロードで叩きのめされていたら、相当なダメージだった(苦笑)。
試合後のインタビューで、若い選手たちが優勝を経験したことで、バレーに対する思いが強くなり、もっとやらなきゃという思いになるし、自分自身と同じことを若い子も経験できた…と、涙交じりで語った。そう。優勝というのは自信がつくだけでなく、さらに自分を成長させる機会。それを何より伝えたかったのだ。
ここのところタイトルから遠ざかっているチーム、そして若い選手がこれをきっかけにさらに成長し、また常勝軍団の姿を取り戻す。そのために皇后杯は絶対取りたかったのだ。そんな思いが伝わってきた。
そう、彼女が涙交じりで話す様子を聞いていて、ちょっとうれしかった。なんでだろう。
彼女が涙交じりで語るくらいの思いで戦っていたこともそうだし、彼女をそういう思いにさせた東レに対してもそうだったし、
でも何より、東京五輪の苦しい経験を経て彼女が至った境地、というものが垣間見られたから、かもしれない。
そしてそして、涙を流すくらいうれしいことがようやく彼女に舞い降りたから、ということがわかったから、だろう。
彼女は今までいろいろと、ついてなかったかもしれない。
けれど、この世というものは、つらい思いをし、悩んだ末に、これだ、とはっきりと見定めたものについては、全てうまくいくようになっているのかもしれない。
一年前に書いた「左胸の石井優希」はこちら。なぜ「左胸の石井優希」なのか、もここに書いてますが、大した意味はないです(笑)
石井選手の優勝記念インタビューは、2:40:00から見られます。