第二章「それは、図書館の片隅の」
僕はちょうどその頃、乃木坂46を勉強するようになっていた。きっかけはある本で出会った「ヒット作を生み出したかったらヒットしているものに学べばいい」という言葉だった。彼女たちの過程を描いた本を読み、ライブを見てみたかったけれど、札幌からでは簡単には見られないしそもそもチケットも買えないし、と思ってライブDVDを買い、さらにを読んだ。そこで気づいたのは、「文化系」という彼女たちの世界だった。
それまでのアイドルグループは体育会系だったと思う。AKB48、ももクロ、そして僕が最初にハマったアイドルグループであるアプガ…活発な彼女たちが、汗をかいたりハツラツとしたパフォーマンスを見せる…それは部活動でいうところの陸上部だったり、太陽の下で輝く体育会系だった。
一方乃木坂はそれとは違う、部活動は太陽の下ではなく教室で行われているような、文化系だと思った。男なら誰だって、クラスの中で活発で元気な女子より、物静かで休み時間中ずっと本を読んでいるような、多くを語らない女子に惹かれる、というケースはあるはずだ。かつて福岡の凡人たちのラジオ番組で、中江有里をそのような女子に例えていたけれど、年輩の人なら頷けると思う。
普段あまり汗をかくことのない文化系の女子たちがステージで汗をかき、躍動する。しかも例えばそれがロングスカートで。きっとそのギャップが多くの人を魅了するのだと思った。
その文化系を突き詰めると、僕は図書館だと思う。どこか薄暗く、そして新しいものから年季の入ったものまで、さまざまな年数の蓄積が放つ本の匂いに包まれる空間の中で、じっと本を読み続ける女の子…その子は基本、笑うことはない。
本には、それぞれの物語があり、かつ、世界がある。その表紙をめくっただけで世界の入口。ブクガの曲はまさに一曲一曲が本であり、そしてその図書館にいる、いや、生息しているような女の子がメンバー。
僕にはMaison book girlがそう見えるようになった。
なにより彼女たちを「図書館」だったり「本」そのものと思えるのは、一つはMVに詞が字幕で入ること。詩を耳で聞くだけでなく文字で読ませようとしていること(本だって文章を文字で読むし)。
そしてもう一つはアルバムやシングルのカップリングに収録されているポエトリーリーディング(詩の朗読)の存在だと思う。アルバムはどうしても曲の集合体になり、そこでアーティストの世界を示しているのだけれど、でも基本はライブに来て初めてそのアーティストの世界に触れることができるのだけれど、ブクガはCDを手に取って聞くだけでもその世界に少しでも近づける感覚になる。
だから、ブクガのCDを手に取るというのは、どこか書棚にある本に手を伸ばすような感覚、だった。CDは書籍。当たり前なのかもしれないけれど、僕は自然とそんな感覚を持つようになった。
グループ名に「book」という単語が入っているのはそんな意味ももしかしたらあるのだろうか。