帰り道は新鍋理沙を語りたくなる

久光スプリングス
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何かにはまり出すと、やがて視点が変わっていく。簡単に言えば目が肥えるということになるだろうか。

今まで気づかなかったことに気づき、そこに奥深さを感じ、「まだ私の知らない世界があるのでは」と思い、それが「もっと見たい」という欲求につながり、さらにハマっていく…今回はそんな話。

私は木村沙織さんをきっかけにバレーボールに興味を持った。そして、かつ、木村沙織さんのプレーを見ていてさらにそこにバレーボールとしての競技の奥深さを知っていった。何事にも「入口」という存在はある。師匠と言ってもいい。その入口の人がどんな人かによって、その人のその物事への接し方が変わっていく気はする。木村沙織さんじゃなかったら今のこんな私(バレーボール好き、だけでなく東レアローズ好きとか、試合を撮るようになったとか)にはなっていなかったかもしれない。

話がそれたが、2016/3/6の所沢でのファイナル3を見て東レアローズファンになった私としては、久光はどうしても敵だった。バレーボールは他の競技と比べ敵対意識の薄いスポーツだと思うけれど、NECや日立に比べ久光はどうしてもあのときの思いが蘇ってしまう。つまり何が言いたいかというと、興味という点でどうしても薄いチームだった。とはいえ、試合を見ることも多いので石井優希選手とか長岡選手とか、中大路選手、戸江選手とか、興味を持った選手はいた。そんなことを1年半前に書いている。

と、こ、ろ、が。

なんと、このブログに全く登場していない人がいる。久光は2016年のファイナル3以外にも11月の船橋、1月の岡山、そして2月のファイナル6と、このブログを書くまでに見ているのだが、いずれもそのとき試合には出ているのに、全く見向きもしていなかったと言うことだ。さっと見たけれど、写真すら撮っていなかったようだ。かろうじて2018/1に大分で見たNEC戦(17/18シーズンは札幌にいたのでこの日の二試合しか見ていない)で一枚撮っていた。

それが、新鍋理沙選手だった。そこにいたのに気づいていないという。いや、もちろん名前くらいは知っていたけれど、興味がなかったということなのだろう。

それが変わり始めたのは、テレビで見ていた2017/18のファイナルだ。

そして新鍋選手への興味はテレビ観戦していた世界バレーで決定的なものになる。

これは、バレーボールにハマリ始めて間もない私にとって、という前提で読んで欲しいのだが、

新鍋選手についての印象は、真鍋監督時代の全日本への招集を拒んだメンバー、ということだった。自分に合わないバレーは全日本であってもやらない。そういう印象だった(実際のところはどうかしらないけれど。でもバレーボールに少し興味がある人ならそういう印象を持っている人も多いと思う)。

芯の強い鉄の女、みたいな新鍋理沙像が私の中でできあがっていた。ほら、よくいるじゃないですか、ニコリともしないけれどものすごい実力を発揮する人って…会社にだって、人付き合いは悪いけれど、能力がものすごい、という人…