それは、ウィングアリーナ刈谷の二階席から始まった~2024.1.21NEC戦エピローグ~

東レアローズ滋賀
all text and photographed by
Arimoto Kazuki(有本和貴)をフォローする

思わず叫んだ「勝つぞ!」

───それは、あの日かけられなかった声だった。あの日の代々木はアリーナの最後列だった。声出しこそマスク着用で解禁されていたけれど、まだはばかられるような状況。声を出したところで自分が後押ししているというわけでもなかったが、自分は何もせず、参戦せず観戦で終わったあの試合。

だが、この日は違う!

そして第五セットも15-11とモノにして、NEC相手に勝利を収めた。喜ぶ選手たちの姿は感慨深いものがあったが、基本的に俯瞰して見るタイプなので、それ以上でもそれ以外でもなかった。ただ、声を出して応援したことの(自己)満足は少しはあった。勝利の余韻を仲間と分かち合いたかったが、第一試合の開始が延びたため、帰りの新幹線の都合で試合後は誰にも挨拶ができず、早々に会場を後にして帰路についた。車内で飲むビールがうまかったのは言うまでもないし、その量に隣の人に引かれていたほどだ。

私は勝手ながら、観戦した東レアローズの試合は、都度新聞を作ってXにアップしている。なので、この試合についてもどういう切り口で伝えようか、考えることになった。

私の中では、あくまでリーグ戦の、順位が上のチーム相手の一勝に過ぎなかった。もちろん相手には昨シーズンの二度の決勝でいずれも敗れているけれど、それは別の話だった。借りを返したというにはあの借りは大きすぎるし、何より番狂わせだ、下剋上だ、ジャイアントキリングだと言うつもりはなかった。一応、強豪チームだし(今シーズンが今シーズンなので「一応」はつけたが)、多少の自虐に走るのは許していただきたいとして(笑い「飛ばす」のは、メンタル崩壊の防波堤なのだ)、そのあたりの誇りは失っちゃいけないと思った。まあ、単に素直に喜ばないというひねくれた性格なのだが。

ただ。ある人とやり取りしていて、私の中では断絶していた、切り離していたあのファイナルとこの試合は、一つの線というか、延長線上にはあったのだな、と感じた。

あの日コートにいた選手たちに、ファイナルのリベンジだという気持ちがあったのかどうかはわからない。何よりあのときのメンバーがだいぶ抜けているからだ。ただ、岡崎のリベンジだ、というのはあったかもしれない。でも、それは結局のところ、ファイナルで二度も涙をのんだ相手にふがいない試合はできない、という意地だったのでは。残ったメンバーが、あの日涙をのんだメンバーの気持ちを、少しでも取り戻したのではないか。

そしてそれは、あの日会場にいたアロとももそうだったはずだ。NECに負ける、ということはどうしてもあのファイナルがフラッシュバックするのだ。でも、借りは返していないが、あの日の悔しさを少しは取り戻したのではないか。

そう思い直した私は、新聞にこんな言葉を使った。

「上書き」

NEC相手、そしてフルセットと、この試合を274日前のファイナルに重ねた人も多かっただろう。とはいえあくまでレギュラーラウンドの一試合。借りを返せたとはとても言えない。ただ。あの日涙をのんだ当時の選手たちの思いを、新しい選手たちが受け継いで、少しでも取り返したことは間違いない。この日、アロともたちは、目を背け続けていたあの日の記憶を、ようやく上書きできたのかもしれない。

東レアローズ新聞「AmbiValent」2024.1.22発行

ちなみに一面の見出しは、あの日とフォントも全く同じにした。でも、この話にはまだ続きがある。