だが、三重魂に魅せられて足を運ぼうと思った次のヴィアティン三重のホームゲーム、がこのタイミングだった。だから自然と遠征することにしたのだ(V3の面白さに気づいたというのもあったけれど)。気になったチームはホームゲームで見る、はVリーグに限らずどのスポーツのリーグでも鉄則だ。しかも、四日市はトヨタ車体の試合で行ったことはあるが、鈴鹿は初めて訪れる町。それもあって、とても楽しみに行った。
場内はやはり、サッカーのカルチャーにあふれていた。ゴール裏に掲出されていそうな巨大横断幕(実際、サッカーチームで使っているのを持ち込んだらしい)、ビッグフラッグ…。
そして。多くの観客でチームカラーのオレンジに染まった、ヴィアティン三重のサポーターの一団はまさにゴール裏だった。当然のことながら、大勢の人たちによる「ヴィアティン!三重!」コールは、一人だけだった札幌と違って迫力があった。
だが、その客席をよく見てみると…子供の多さにびっくりした。さらには子供たちでも盛り上がれるように、ということなのだろう、チャントに「盛り上がりが足りない」「アゲアゲホイホイ」も取り入れていた。これはサッカーというよりは高校野球の文化だと思うが、そんなものも柔軟に取り込んで「ゴール裏」を作っているなあと、オレンジ色の服を着た子供たちが楽しそうに盛り上がっている様子を見入っていた。
しかも日曜はエンド側に移動して大旗も登場するなど、位置もあいまってよりゴール裏になっていて(ゴール裏というように、サッカーもサポーターはエンドで見ている)、壮観だった。だが、サッカー文化がVリーグに…というだけでなく、子供の参加などちゃんと三重流にオレンジ…じゃなかった、アレンジされていた。
リーグ最終戦となったこの鈴鹿大会。ホームゲームでなんとか一勝を、と意気込んでいたであろう選手たちには何より心強かったはずだ。実際、土曜は優勝争いをしている倉敷アブレイズ相手に接戦を演じ、第三セットに一セットを奪い、続く第四セットも一時は14-5と9点差をつけてこのままフルセットか…という展開になった(ちなみに倉敷が負けるとその時点でアルテミス北海道の優勝が決まった)。だが、そこで勝利を意識してしまったのか6連続失点などで追いつかれ、惜しくも敗れた。
ただ。この鈴鹿大会は今シーズン誕生し、かつ今シーズン限りというV3というリーグの最終戦、だったのが大きかった。いわば、V3という大会のフィナーレを、ホームゲーム=ホスト役だったヴィアティン三重が盛り上げた。それが何よりだった。まず、選手側はというと…この光景だ。
詳細はこちらの記事をお読みいただきたいのだが、最終戦ということで、ヴィアティン三重の選手発信でV3の全4チームでの集合写真を撮ったのだ。
これこそ、前述の「楽しむことを、勝ち負け以前のものとして価値を置いていた」気持ちの表れというか、三重らしい計らいではないだろうか。
そしてサポーター側はというと、場内に掲出されていたこれだ。
こちらも上述の記事で書いたが、自チームだけでなくリーグ全体を応援しようという彼らの心意気の表れ、だと思う。
日曜の試合後には、これが引退試合となる対戦相手のカノアラウレアーズ福岡の引退選手へコールもしていた。特に賀谷明日光選手はお父様が元Jリーガーなので、おそらく子供の頃からチャントにはなじみがあったはず。自分の名前をサッカー風のサポーターたちに呼ばれるのは、少し感慨深いものもあったのではないだろうか。
あと。試合後、というか一通り大会が終わって撤収作業に入るときによくある、大会関係者への御礼を、場内一周といったセレモニーの前にやっていたのも素晴らしかった。さらにはコートオフィシャルの学生さんたちも呼び入れて。あなたたちも大会関係者だよ、という計らいは、他の大会で一度も見たことがなく、これが三重の流儀か、と思った。
ヴィアティン三重の運営、選手、そしてサポーターたちの計らいによって、まさにリーグ最終戦にふさわしい大会となった鈴鹿。「魅せろ~三重魂」のチャントが脳内に響きながら、私は東京に帰った。
2024年3月24日、第一カッターフィールド───
はじめに断っておくけれど、ここはサッカー場であって、バレーボールは関係ない。第一カッターフィールドと言われてもピンとこないだろうが、千葉県習志野市にあるサッカー場で(日本代表の練習に使われることもある)、通な人には秋津で通じるだろう。では、なぜここに?