THIS IS HOME~アランマーレ文化 from 庄内~

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Arimoto Kazuki(有本和貴)をフォローする

ポイント②庄内で感じた「シップメイト」の意味

私が鶴岡大会に行ったのは、庄内という地域を見てみたかったというのもありました。話すと長くなるのでここではやめますが、戊辰戦争で藩として最後まで抵抗したのが庄内藩だったんですね(箱館戦争は藩としての戦いではないので)。しかも領内に侵攻を許さなかったという。そこに興味を持って、一度訪れたいと思っていたんです。なので、前日入りして酒田と鶴岡を観光しました。

本当は庄内藩だけで記事を書きたいところではあるのですが(笑)、なぜ最後まで抵抗できたかというと、領民が藩主を慕っていたその関係性もありますが、酒田が北前船の寄港地だった、というのも大きかったです。つまり、潤っていたわけですね。だから最新式の武器を揃えることができて、そして領民が一致団結して最後まで抵抗できたんです。

そんな酒田の町を歩いていたら、図書館もある駅前の施設「ミライニ」に、アランマーレコーナーがあったんです。

おお、これはすごいなと思って展示物を見て、そしてふと見上げるとこんな垂れ幕が…

「私たち酒田市民も、Shipmate[航海の仲間]」

あっ、だからファンクラブの名称がシップメイトなのか!

開幕前にアランマーレを調べた時にファンクラブ名がシップメイトと知って、ファンクラブの名称としては珍しいなあ、どんな意味なんだろうと詳しく調べずそのときは漠然と思っていたのですが、シップ(船)メイト(仲間)ということだったのか!と。要は同じ船に乗る乗組員、つまりチームと運命共同体ということですね。

ちなみにこのシップメイトというのはアランマーレのスポーツチーム共通のファンクラブ名称で(なおバスケにはありません)、バレーボールだけというわけでもないですし、よくよく考えたらアランマーレはイタリア語でarancia(オレンジ)とmare(海)の造語なので、ファンクラブ名称に船という発想が出てきたのだと思いますが、このときは勝手に北前船との関係性を感じてました(笑)。

酒田は米の出荷もそうですが、町の発展と港=船は密接な関係だったので、そんな町を歩いていたからこそ、このシップメイトという言葉が刺さったのかな…と思いました。

思えば庄内ってあまり知られていないと思うんですよね(そもそもどこにあるのか知らない人もいるのでは…)。山形県でひとくくりにされてしまいますが、庄内には前述の戊辰戦争での抵抗ぶりや、致道館をはじめ独特な文化というか、地域性があります。最後まで抵抗したのに戦後の処分が寛大だったこととか、それがきっかけで西郷隆盛との縁が生まれたりとかホント、これだけで記事を書きたいくらいなのですが、

ただ、庄内を拠点とするスポーツチームは他にないので(JもBも山形市のある村山地域)、この庄内の気質が色濃くて、かつ伝えるチームがあってもいいのではと思うんですね。

要はアランマーレ山形として庄内(酒田・鶴岡)をもう少し前に出してもいいんじゃないかなと(なのでこの記事のタイトルにもあえて庄内と入れました)。もっとも、鶴岡の居酒屋で「庄内すごいっす」みたいな話を店員さんにしても実感がなかった様子だったので、地元の人にとってはそのすごさはあまり感じていないのかもしれませんけどね(地方あるあるですね)。

長くなりましたが、私のように縁もゆかりもない人が、アランマーレを通して庄内という地域にこれだけ魅せられた、ということは伝えたいと思います。

長くなりましたが、最後に大事な話です。アランマーレというチームを語る上で、知っておいていただきたいこと、です。