このファイナルで個人的にちょっと面白かったのは、控え選手がピンチサーバーとかで試合に出たときに、控え選手たちはエリアで「○○いっぽーん!」と叫ぶんだけれど、で私はそれを避けて後から同じように叫ぶんだけれど(笛が鳴る前までには言い終えておかないと選手も集中が乱れるはず)、あるとき白井選手が出たときに控え選手たちがコーチと話していたのか、叫べない状況になっていて、でも日高選手がせえの、と音頭をとっていても誰もやらなさそうだったので私が代わりに「美沙紀いっぽーん!」と叫んだ。
こんなことができるのもベンチ裏シートならではだし、こんなことをしたのも、私がチームの一員みたいに一緒に戦っているからかなと思った。
ベンチ裏シートにいるということは応援団と相対することになるわけで、つまり応援団の様子がよく見えるわけだ。そこには私の同士もいるんだけれど、彼の動きに合わせて私も腕を動かしたりしていた。コートを挟んで、一緒に選手たちを応援している、そんな感覚だった。団席の声も響くけれどかき消されてしまうことも多いが、ベンチ裏にいる私の声は届きやすい。だから声出して応援しよう。個人的に応援団の別働隊みたいな感覚でベンチ裏シートに座るようになった。
試合も接戦だったこともあって、私も試合に集中していた部分があった。テクニカルタイムアウトやセット間ではDJが主導してリズムゲームとかやっていたようだけれど、私はあまり気にならなかった。選手たちも関係なかったと思う。そういう盛り上がりに欠けるイベントやるくらいならいつもの試合のように応援団に時間を、という人もいるだろうけれど、ファイナルは両チーム以外のファンも来ているし、バレーボールに興味を持ち始めて決勝を見に来た人もいるだろうからあれはあれでありだと思った。
ただ、8、16点目でのテクニカルタイムアウトはDJが主導していたけれどそれ以外の、チームが取るテクニカルタイムアウトは応援団が主導できるので、東レアローズはいつもの「Little Bitch」を、短縮バージョンを作って流していた。先週のファイナルでつくづく思ったのだが、ファイナルの舞台では、いつもの試合風景が一変する。いろんなものが、チームの主導にできなくなる。選手たちの試合前の入場方法もそうだし、応援方法もそうだ。でも、どこかに「日常」を入れておくことで、その非現実感を少しでも現実にできる。
この日、東レの応援団が作った「Little Bitch」の短縮バージョンも、そのためのものだったと思う。ファイナルという舞台で緊張する選手たちに「日常」という落ち着きを与えることができる。そう思った。応援団も戦う選手のためにいかに後押しするか、を考えているのだ。
第四セットは久光に取り返されてしまうが、第五セットを東レが奪い、第二戦は東レの勝利に。こうしてファイナルはゴールデンセットに持ち込まれた。
そう。気づけば、想定通りの展開になっていた。いける!いけるぞ!ウチはフルセットからのゴールデンセットも経験している。流れはウチに来ている。追い風だ!ゴールデンセット前のインターバルは私にとって何よりシアワセな時間だった。ファイナル8開始当初全く現実味のなかった優勝が、目の前に来ている!
ゴールデンセットの入りも、二週間前同様、スタッフが花道を作り選手たちが走って入るといういつものルーティーンだった。日常だった。いける!
想定通りはここまで、だった。思えば久光は、ゴールデンセットにもつれることも折り込み済みだった。ゴールデンセットでどう戦えばいいのか、も既に想定済みだった。同じ風でも、ゴールデンセットもどこ吹く風。想定外なんて言葉がない。これが王者のメンタリティなのだろう。
ゴールデンセットに持ち込んだものの、今の流れでゴールデンセットにいけばそのまま勝てると思っていた東レと、ゴールデンセットにもつれ込むことを想定して第二試合を戦っていた久光。その違いだったのかもしれない。でもこれはしかたない。第二戦を勝たなければゴールデンセットには進めなかったわけで、目の前の試合に必死だった。
これが差だった。差があったから、負けた。