車体が軋むように君が泣く~トヨタ車体クインシーズ、和解なき合意~

クインシーズ刈谷
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Arimoto Kazuki(有本和貴)をフォローする

元々私はこのチームの監督に懐疑の念を抱いていた。だが、この日の試合を見て、それが少し晴れた。彼の采配を「何をやっているんだ」と憤るか、「ここまでするのか」と感嘆するのか、「ここまでするけど余計なことをしている」と嘆くのか。

それによってこのチームを取り巻く空気───ファンだけでなく選手も───は、大きく変わると思った。

試合後。選手たちの目には光るものがあった。大川選手はセットポイントで決め切れなかったことの責を負っているように見えた。チャレンジを要求していれば、きっとそんなことにはならなかっただろう。いや、だったらチャレンジしてくれ、と強く言ってよと思うかもしれないが、高卒の新人選手にそこまで要求するのは酷ではないだろうか。

監督は選手を大人扱いしている。大人であることを求めている。

だが、まだ大人になっていない選手もいるのだ。

涙にくれるこのチームの選手たちを見て、そして試合後の挨拶で深々と頭を下げたまましばらく上げられなかった藪田キャプテンを見て思った。和解なき合意をした選手たちからすれば、もしこの試合に勝てれば自分たちのしたことが間違ってなかったと確信できたはずだ。だから、この試合は絶対勝ちたかった。

「こうしよう!」と強い思いでみんながまとまると、新たなパワーが生まれる。その手応えもあった。これならいける。そう思った。だが、それだけで勝てなかった。監督がどんな采配をしようが、プレーするのは選手だから関係ないと思うが、そうでもない、ということがこの試合で突き付けられたのではないだろうか。だから悔しかったのではないだろうか。

決別してお互い違う方向に強く歩み始めたけれど、その歩みが強くても結局は噛み合わないことには足の引っ張り合いになってしまう。それぞれが頑張ったところで、噛み合わなければやはり勝てない。

この試合が何だったのか、が私の中でようやく答えが出せた。

ではこのチームはどうしたらいいのだろう。選手たちは頑張っている。戦力も整っている。監督も自分なりにいろいろ考えて手を打っている。それぞれのベクトルを同じ方向に向けるためにはどうしたらいいか。

印東さん、少しでいいから選手を振り向いてあげませんか?

これは監督だからとかそういう話じゃない。

選手よりずっと年上の大人として。

なおタイトルは私が、いつも欅坂46など坂道グループの世界観をバレーボールに当てはめる中で見つけた、けやき坂46「車輪が軋むように君が泣く」から取っているだけ。