では何が起きたのか。もちろん一ファンが内情など知ろうはずもない。はっきりとわかる変化は、19/20シーズンから、監督が多治見麻子から印東玄弥に替わったことだ。一定の結果を出していた監督の交代。それは単に当初の契約年数が終わったから、かもしれないが、3位、4位とタイトルに届きそうなところまで来ていて、ここでギアを上げてタイトルを狙いたい、そのためにこの監督では難しい、総合コーチからの昇格なので内部も掌握している、そう見える人事だった。
こういう人事は野球もサッカーもよくあることだったりする。強くする監督から勝てる監督へ。普通はそういう名目で行われる。もちろん実際の内情は知る由もない。
ただ。19/20シーズン、当時はまだあったベンチ裏シートからこのチームを見ていて、そのベンチワークに違和感を覚えた。プレーが止まるたびに監督が振り向いて、今村・竹田の両コーチ(当時)に「今のプレーは…」と解説している。それは監督ではなく解説者の姿だった。もちろん監督は試合を俯瞰して見る必要がある。あるけれどコートのすぐそばという、選手に一番近い位置にいる人がやることかどうかと言うと私の中では疑問が残った。
その疑問を解決するには、この人は竹田コーチに、監督としての英才教育をしているのだな、と推測するしかなかった。チームの中心選手だった竹田コーチを監督にするための教育。それなら納得できる。そうとでもこじつけなければ納得できなかった。
テクニカルタイムアウトのとき自分で席まで行ってブザーを鳴らしたり、他のチームでは見られない光景が多く見られるのも不思議だった。そういうのはコーチに指示するものだからだ。そして最近気づいたが、帳票での監督コメントに、相手チームだけでなく具体的に選手名を挙げて賞賛する人はこの人くらいだ。記者会見で褒めるのはまだいい。でも、後々まで残るリーグ機構の公式資料に名前を載せるのは少し、いや、だいぶ話が異なる。
「○○選手の適確な判断で、スパイカーの能力を引き出しているプレーは素晴らしいと思います」
それは対戦相手に最大限の敬意を払うということでは素晴らしい。
だが、自分のチームの選手たちがそれを読んだらどう思うだろう。
監督が、メディアを通して間接的にメッセージを送ることは野球でもサッカーでもよくある。それをうまく使いこなす人が名将だと言われることもある。相手選手を褒めるということは、間接的に「お前もあの選手のプレーを見習えよ」と言いたいのかもしれない。
だが、メディアではなく帳票という公式資料を通して言うのは違う。